【Clip! アカデミー】 第65回 2006/12/19
第3週 解説号「心の未知の側面と取り組む」
◆提供:臨床心理士指定大学院受験講座◆
http://www.clinicalpsychology.jp/
◆目次◆
1)【前回のまとめ】
2)【問題の解説】
【Q1】心理臨床と観察に関する問題
【Q2】心理療法に必要な要素に関する問題
【Q3】権威と実践に関する問題
【次回配信日】
【参考文献】
【編集後記】
==================================================================
○ ~~~~~~Clip!アカデミーサイクル~~~~~~ ○
◆ 【Clip!アカデミー】は、
心理用語を紹介するだけの従来の心理系メルマガとは異なる、
1ヶ月(3週)1サイクルで完結するユニークな
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■ 基本サイクル ■
第1週「エッセイ号」…問題提起
↓
第2週「問題号」…練習問題
↓
※【今回はこちら!】 第3週「解説号」…確認とフィードバック
↓
第4週 基本的にお休み
(特別号が配信される場合があります)
↓
■ 第2サイクルへ続く ■
○ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ○
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●心理学やその周辺状況について、熱く語りたい方
●大学院でのディスカッションに飽き足らない方、
●ディスカッションしようにも、そもそも周りに相手が見つからない方。
【Clip!アカデミー】では、
現在勉強会を行っています。
心理学史や研究法など、
心理学の基礎的な文献を読みながら、
重要なトピックについてディスカッションするものです。
もしかしたら、それを元に、
メールマガジンを配信することになるかもしれません。
Clip!アカデミー事務局までご連絡下さい。
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1)【前回のまとめ】
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心の実践図(仮)
====================================
●論理・科学→「語りえないもの」を「(仮に)語りえるものとみなして語る」
●物語・文学→「語りえないもの」を「語らないまま語ろうとする」
●宗教 →「語りえないもの」を「“語られたもの”として信じる」
●芸術 →「語りえないもの」を「語らないまま表現する」
====================================
心の実践図2(仮)
====================================
○「語りえないもの」に対する実践
●物語・文学→「語らないまま語ろうとする」
●宗教 →「“語られたもの”として信じる」
●芸術 →「語らないまま表現する」
↓
○実践を自覚・検証・修正する手段
●論理・科学→「(仮に)語りえるものとみなして語る」
↓
◎心理学的実践=心理臨床
====================================
前回エッセイ号までの2回のエッセイ号による検討では、
「語りえないもの」という、
”こころ”のなかでも論理では説明できない側面を、
どのように捉えるか、
という点について考えてきました。
前回エッセイ号では、「なぜ人を殺してはいけないのか」
という倫理的な命題を通して、
このことを確かめるとともに、
心理学の実践的応用分野である心理臨床は、
どのように「語りえないもの」を捉えることができるのか、
ということを考えてきました。
ここでの一応の結論が、
心の実践図2にあるように、
「語りえないもの」に対する取り組みにおいては、
科学的視点によってそれを自覚し、修正し、
理論化する、という点こそ、心理臨床実践の独自性ではないか、
というものです。
前回の問題号、今回の解説号では、
もうすこし心理学に引きつけた形で、
心理臨床実践について3つのテーマを掘り下げています。
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2)【それでは問題です】
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【Q1】観察のいろいろに関する問題
心理臨床における観察のあり方について
よく説明しうる概念として、
もっとも適当なものを、
以下の選択肢よりひとつ選びなさい。
====選択肢=====
a. 自然観察
b. 参与観察
c. 関与しながらの観察
d. 実験的観察
============
正解は、 【 c. 】
自然観察と実験的観察の違いは、
統制条件があるかどうか、
から区別することが出来ます。
観察対象の諸条件をコントロールせず、
できるだけありのままの状態で観察するのが、自然観察。
逆に、条件をコントロールし、
特定の条件下での観察対象の振る舞いを観察するのが、
実験的観察になります。
有名なものでは、
幼児の愛着形成のパターンを観察するために行われる、
ストレンジシチュエーション法などが
それにあたるでしょう。
「参与観察」と「関与しながらの観察」に関しては、
おそらく【 c. 】をあげた人がほとんどではないでしょうか。
しかし、勉強している人ほど迷ったのではないかと思います。
なぜなら、
実際には、このふたつはほとんど同義として
扱われているからです。
元の英語も、同じparticipant observationです。
違いを挙げるとすると、
臨床実践において取り上げられる場合、
participant observationは、
新フロイト派の臨床家、H・S・サリヴァンの言葉として、
「関与しながらの観察」と訳されます。
一方、「参与観察」と訳され、用いられる場合、
観察法という研究法のひとつとして紹介されることが多いでしょう。
そして、この目的の違いからは、
やはり同じ行為であったとしても、
あえて区別するだけの意味があるように思われます。
どこが違うのか、皆さんも考えてみてください。
【Q2】心理療法に必要な要素に関する問題
心理療法を実践する上で不可欠な要素として
もっとも適当なものを、
以下の選択肢の中からひとつ選びなさい。
===選択肢===
a. 心理検査
b. 心理査定
c. 医学的診断
d. 受理面接
=========
正解は、 【 b. 】
この中で、心理療法に欠かせない要素というと、
どれになるでしょうか?
心理検査を行うことや、
受理面接を行うことは、
ときにほとんど心理査定とイコールとして扱われます。
心理査定と、医学的診断が、
ほとんど同義になることもあります。
そういう意味で言えば、
心理検査・受理面接・心理査定・医学的診断、
これらが欠けていても、心理療法は成立しそうに見えます。
しかし、心理査定の意味を、
もう少し広く捉えるとどうでしょう。
心理査定→基礎資料から問題に対する仮説を構築すること
つまり、
クライエントの問題や障害、
それに対する治療法の選択、
その結果予期される予後の見通しを得ること。
とすると、ほかの3つは、
心理検査→心理査定のための道具
受理面接→心理査定のための枠組み
医学的診断→医師による問題の評価と分類
と区別することが出来そうです。
このように捉えると、
心理査定=アセスメントのない
心理療法は、存在しないことが分かります。
心理検査や受理面接、医学的診断は、
医療現場において、
アセスメントを構造として行うために発達してきた
枠組みであると考えられます。
その意味で、
医療現場でなければ、
心理検査や受理面接、医学的診断のない
ところでスタートする心理療法も成立しえます。
しかし、
アセスメントがまったく存在しない心理療法は成立しえません。
クライエントに関するなんらかの仮説がなければ、
クライエントにどのような援助が期待できるか判断することは出来ず、
したがって、そもそも心理療法の用不要自体が判断できないからです。
逆に、治療構造として備わっていない分、
アセスメントを常に明確にしている必要があるのが、
医療現場以外での心理臨床であるといえるでしょう。
【Q3】権威と実践に関する問題
権威との関係について、
心理臨床実践に大きな変化をもたらした臨床家として、
最も適当と思われるものを、
以下の選択肢から一人選びなさい。
=====選択肢=====
a. C・R・ロジャーズ
b. G・フロイト
c. M・ホワイト
d. M・エリクソン
=============
正解は、 【 a. 】
心理臨床が、
フロイトの行った精神分析療法にその多くを
負っていることに反対する人は、
おそらくいないでしょう。
フロイトは医者であり、
またその権威を自明のものとして、
あるいは意図的に、治療関係に持ち込みました。
しかし、治療者の権威を前提とする
「治療者(医者)‐患者」関係に疑問を持ち、
その後の心理臨床実践を位置づけなおしたのが、
来談者中心療法の生みの親であるC・R・ロジャーズです。
それまでの受動的な存在としての「患者」は、
ここでは自らのニーズを持って、
主体的にサービス(心理療法的援助)を
求める「来談者」として位置づけられます。
その背景には、心理療法の、
医療以外の現場への拡大という問題がありました。
専門的サービスの提供、
という枠組みであれば、
教育現場、福祉や矯正の現場においても、
広く心理療法的援助が可能になります。
医療的には問題のない健常者も、
心理療法的援助の対象者に入ってくるからです。
このようにして、
来談者中心のスタンスは、現在の心理臨床における、
グランドセオリーのひとつを成しているに至っています。
しかし今度は、
本当に現在の心理臨床は「来談者中心」か、
という問題が提起されることになります。
●そもそも、相互に影響を与え合っている治療者と来談者は、
弁護士のように、専門的知識を来談者に一方的に与えている
他の専門的サービスとは、根本的に異なる、という考え方があります。
●はたまた、来談者の問題を解決するためであれば、
権威だろうが、なんだろうが、あるものを使えばよいし、
必要なければこだわる必要はない、という考え方もあるでしょう。
●現代社会において、もっとも「来談者中心」なのは、
サービス産業における、サービス提供者のあり方かもしれませんが、
心理療法が、はたして、他のサービス産業と同じような
産業になりえるのか?という疑問もあるかもしれません。
心理臨床の実践について考える上では、
治療者と来談者の関係のあり方について、
避けて通ることができません。
皆さんも、自分の想像の及ぶ範囲で、
こうした関係の在り方について考えてみてください。
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【次回配信】
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次回 【エッセイ号】… 2007年1月2日(火)にお送りする予定です。
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【参考文献】
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● 新訂 方法としての面接-臨床家のために 土居健郎 1992 医学書院
● 心理臨床大辞典[改訂版] 氏原寛 亀口憲治 成田義弘 東山紘久
山中康弘 共編 2004 培風館
● 新版 心理臨床家の手引 鑪 幹八郎 名島 潤慈 編 2000 誠信書房
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【編集後記】
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今回は、3問のうち、どれも答えの定まらない問題を
出題することにしました。
それは、実践というテーマ、「語りえないもの」というテーマ自体が、
自信を持ってこれが答えだ、
と論じられることを、拒むところがあるからです。
明確な結論を拒む、というよりも、
そのテーマや疑問について考える過程のほうに意味がある、
といった方がいいでしょうか。
例えば【Q2】を読んで、
そういえば、アセスメントのない心理療法って、
あるとしたらどんなものだろう、
などの疑問が、ふと浮かんでこなかったでしょうか。
こうした「もしも」の仮説を、
頭の中で検証してみることを思考実験といいます。
このメルマガが、こうした「もしも」について考えたり、
ご友人と議論したりするきっかけになれば、と思います。
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送信者:臨床心理士指定大学院受験講座
http://www.clinicalpsychology.jp/
※Clip!アカデミーの記載内容は臨床心理士指定大学院受験講座に帰属します。
無断転載・転用を禁止します。
2006年12月19日火曜日
【Clip!アカデミー】第65回:解説号「心の未知の側面と取り組む
2006年12月12日火曜日
【Clip!アカデミー】第64回:問題号「心の未知の側面に取り組む
【Clip! アカデミー】 第64回 2006/12/12
第2週 問題号「心の未知の側面と取り組む」
◆提供:臨床心理士指定大学院受験講座◆
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◆目次◆
1)【前回のまとめ】
2)【それでは問題です】
【Q1】心理臨床と観察に関する問題
【Q2】心理療法に必要な要素に関する問題
【Q3】権威と実践に関する問題
【次回配信日】
【参考文献】
【編集後記】
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第1週「エッセイ号」…問題提起
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※【今回はこちら!】 第2週「問題号」…練習問題
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(特別号が配信される場合があります)
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■ 第2サイクルへ続く ■
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●心理学やその周辺状況について、熱く語りたい方
●大学院でのディスカッションに飽き足らない方、
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心理学史や研究法など、
心理学の基礎的な文献を読みながら、
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1)【前回のまとめ】
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心の実践図(仮)
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●論理・科学→「語りえないもの」を「(仮に)語りえるものとみなして語る」
●物語・文学→「語りえないもの」を「語らないまま語ろうとする」
●宗教 →「語りえないもの」を「“語られたもの”として信じる」
●芸術 →「語りえないもの」を「語らないまま表現する」
====================================
心の実践図2(仮)
====================================
○「語りえないもの」に対する実践
●物語・文学→「語らないまま語ろうとする」
●宗教 →「“語られたもの”として信じる」
●芸術 →「語らないまま表現する」
↓
○実践を自覚・検証・修正する手段
●論理・科学→「(仮に)語りえるものとみなして語る」
↓
◎心理学的実践=心理臨床
====================================
前回エッセイ号までの2回の検討では、
「語りえないもの」という、
”こころ”のなかでも論理では説明できない側面を、
どのように捉えるか、
という点について考えてきました。
我々の社会や人生において、
「語りえないもの」が問題となってくるのは、
特に、倫理的な問題においてです。
そして、そうした「語りえないもの」を
捉えるために、我々が用いてきたのは、
科学ではなく、文学や宗教、芸術という領域なのです。
そこで前回は、「なぜ人を殺してはいけないのか」
という倫理的な命題を通して、
このことを確かめるとともに、
心理学の実践的応用分野である心理臨床は、
どのように「語りえないもの」を捉えることができるのか、
ということを考えてきました。
ここでの一応の結論が、
心の実践図2にあるように、
実践し、科学的視点によってそれを自覚し、修正し、
理論化する、という点です。
心理臨床は、文学や宗教、芸術のように、
新しい可能性を押し開くものではありません。
その意味で、心理臨床は芸術ではなく、
地道な職人芸の世界であるということになりますが、
だからこそ、
努力の積み重ねによって心理臨床家になる道が、
細々と存在する、といえるのではないでしょうか。
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2)【それでは問題です】
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【Q1】観察のいろいろに関する問題
心理臨床における観察のあり方について
よく説明しうる概念として、
もっとも適当なものを、
以下の選択肢よりひとつ選びなさい。
====選択肢=====
a. 自然観察
b. 参与観察
c. 関与しながらの観察
d. 実験的観察
============
【Q2】心理療法に必要な要素に関する問題
心理療法を実践する上で不可欠な要素として
もっとも適当なものを、
以下の選択肢の中からひとつ選びなさい。
===選択肢===
a. 心理検査
b. 心理査定
c. 医学的診断
d. 受理面接
=========
【Q3】権威と実践に関する問題
権威との関係について、
心理臨床実践に大きな変化をもたらした臨床家として、
最も適当と思われるものを、
以下の選択肢から一人選びなさい。
=====選択肢=====
a. C・R・ロジャーズ
b. G・フロイト
c. M・ホワイト
d. M・エリクソン
=============
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【次回配信】
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次回 【解説号】… 12月19日(火)にお送りする予定です。
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【参考文献】
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● 新訂 方法としての面接-臨床家のために 土居健郎 1992 医学書院
● 心理臨床大辞典[改訂版] 氏原寛 亀口憲治 成田義弘 東山紘久
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● 新版 心理臨床家の手引 鑪 幹八郎 名島 潤慈 編 2000 誠信書房
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【編集後記】
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ようやく、心理臨床に関する問題を出題することが出来て、
うれしい次第です。
心理学の中でもさらに新しく、
しかも応用心理学として、
基礎心理学から叩かれることも多い
臨床心理学ですが、
やはり、心理学の中での位置づけ、
というところから考えていくと、
このように、最後の最後に登場することになります。
おそらく、心理学の概論書においても、
たいていはそのような章立てになっているはずです。
それは、心理学の歴史や在り様、研究法や諸分野について、
一通り通過してきてからでなければ、
そしてそれを前提としてでなければ、
語れないものだからなのでしょう。
そのために、基礎心理学の勉強があり、
臨床心理系の大学院受験においては、
学部外からの受験者にとって厳しいハードルが
用意されることになります。
その勉強は、どうしても必要です。
たとえ中身を将来忘れてしまったとしても、
見えないところで、自分の中の”心理学なるもの”を、
支えてくれることになるのではないでしょうか。
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送信者:臨床心理士指定大学院受験講座
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※Clip!アカデミーの記載内容は臨床心理士指定大学院受験講座に帰属します。
無断転載・転用を禁止します。
2006年12月5日火曜日
【Clip!アカデミー】第63回:エッセイ号「心の未知の側面と取り組む
【Clip! アカデミー】 第63回 2006/12/5
第1週 エッセイ号「心の未知の側面と取り組む」
◆提供:臨床心理士指定大学院受験講座◆
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◆目次◆
1)【前回のまとめ】
2)【「なぜ人を殺してはいけないのか」】
3)【3人の実践家】
4)【では心理臨床家は?】
5)【科学的検証の意味】
6)【心の実践図その2】
7)【議論し、考えること】
【次回配信日】
【参考文献】
編集後記】
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━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
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1)【前回のまとめ】
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心の実践図(仮)
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●論理・科学→「語りえないもの」を「(仮に)語りえるものとみなして語る」
●物語・文学→「語りえないもの」を「語らないまま語ろうとする」
●宗教 →「語りえないもの」を「“語られたもの”として信じる」
●芸術 →「語りえないもの」を「語らないまま表現する」
====================================
前回のエッセイ号では、
どのように心理学にとっての心の未知の側面=「語りえないもの」
を捉えようとするか、という方法論の違いから、
科学と物語、宗教、芸術を比較しました。
今回は、文学者、宗教家、芸術家という3人の実践家に、
子どもが「なぜ人を殺してはいけないのか」と聞いてきたとき、
どう答えるか考えてもらいます。
そして、それを踏まえて、
では、心理学者は、その問いとどう向き合うことが出来るか、
ということについて検討していきたいと思います。
なんでこんな話になるのか?
それは、「語りえないもの」とは、
「なぜ人を殺してはいけないのか」
「ふつうとはなにか」
のように、我々の世界や人生が丸ごと乗っているような
土台になる部分であるにもかかわらず、
誰もが言葉に詰まってしまうような部分だからです。
人間にとって大事なものばかりですが、
”こころ”を捉えようとする心理学であっても、
もっとも取り扱いに困る部分でもあります。
しかし、これに類する問いは、
心理臨床の現場にはたくさんあります。
そして、時代の流れとして、
心理学を勉強する人間は、
こうした問いと無関係ではいられないでしょう。
この問いを考えるために、
我々は心理学の一歩外にでなければなりません。
しかし、
このような「語りえないもの」を意識し、
それに自分はどのような態度を取るのか。
それを自覚する前と後とでは、
勉強の仕方がかなり違ってくるはずです。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
2)【「なぜ人を殺してはいけないのか」という問い】
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
我々は心の実践図を立てて、
人類が自らを理解するために行ってきた、
様々な実践を比較検討することから、
“こころ”の未知の側面を探ろうとしてきました。
実践について検討することが、
なぜ心の未知の側面になるのでしょうか。
それは、
物語や宗教・芸術など、様々な実践を通して捉えられた人間の在り様が、
科学が今まで捉えられないできた側面について、
何かを示唆しているように見えるからです。
物語や宗教・芸術を通して捉えられた人間の在り様。
たとえば、それは、
Q「どうして人を殺してはいけないのか」
ということです。
これを子どもに尋ねられたとき、
あなたはどのように答えるでしょうか。
A1「そんなこと自分には関係ない」
…なんてことはいわないでしょう。
心理学に興味を持ち、また、臨床心理学を勉強しようと思った人間は、
心のどこかで、この問いに引っかかっているはずですし、
心理臨床を職業にしようとしている人ならば、
この問いを避けては通れないはずなのです。
ここで、
A2「分からない」
と思った方。
答えの近くまで来ていることになります。
つまり、それが「語りえないもの」です。
この問いの盲点は、我々が、
どうしても相手を論理的に説得しようとしてしまう、
という点です。
「なぜ人を殺してはいけないか」という、
倫理的な命題は、論理的に正しい答えを出すことが出来ない。
といっている人もいます。
A3「語りえないものについては沈黙しなければならない」
…ヴィトゲンシュタイン
だからといって我々は、
単に沈黙していられるわけではありません。
単なる議論ならば、途中で放っておくことも出来ます。
しかし、目の前にそう問われたならば、
その人とのかかわりの中で答えを出さないでいる、
ということはできないからです。
このジレンマは、心理学を学んで現場に出て行く、
すべての心理臨床家が抱えているテーマであるように
思われます。
なぜなら、心理臨床の現場で問題になるのは、
突き詰めていくと結局は、
人間の人生の中の、理屈ではどうにもならない部分だからです。
その部分に、答えを出せないまま、
それでもかかわり続けるのが、心理臨床家を含め、
人間の中の「語りえないもの」
に触れざるをえない実践家の態度ではないでしょうか。
それでは、
「語りえないもの」を捉えようとする様々な実践と比較して、
心理学と、心理学の中の実践家である心理臨床家は、
どのように「語りえないもの」を扱っているのか。
このような点が、心の未知の側面を捉えるために、
我々が心の実践図を検討する意味になるでしょう。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
3)【3人の実践家】
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
さて、心の実践図をもう一度見直してみましょう。
心の実践図(仮)
====================================
●論理・科学→「語りえないもの」を「(仮に)語りえるものとみなして語る」
●物語・文学→「語りえないもの」を「語らないまま語ろうとする」
●宗教 →「語りえないもの」を「“語られたもの”として信じる」
●芸術 →「語りえないもの」を「語らないまま表現する」
====================================
そして、文学、宗教、芸術の場合について、
考えてみたいと思います。
あくまでも、単なる比喩であり、
説明のためのフィクションであることを
ご承知置きください。
●文学者のA氏の場合
それでは、文学者のA氏は、
どのようにその問いに答えるのでしょうか。
おそらく、「なぜ人を殺してはいけないのか」
について、直接答えを出そうとはしないでしょう。
そして、その代わりに、
一人の殺人者についての物語を語るかもしれません。
あるいは、その物語を通して、
殺人を犯す、ということについて、
当人と一緒にひたすら考え続け、
“語ろうとし続ける”かもしれません。
●宗教家のB氏の場合
次に、宗教家のB氏ならば、
なんと答えるでしょうか。
おそらく、
「“神”が殺人を禁じているから、人を殺してはいけないのだ。」
と答えることでしょう。
このことは、B氏の宗教を信仰していない我々には
もう少し説明が必要かもしれません。
宗教の前提には、
「語りえないもの」を“語りうる”存在、があって、
それが、イエス・キリストであったり、
阿弥陀仏であったり、蓮華経であったりするのだ、
と考えると、わかりやすくなります。
つまり、この「信仰」という宗教的実践の本質は、
この“語りうる”存在が実在することを「信じる」、
という態度・決断だということができます。
これさえ乗り越えれば、後は簡単です。
“神”は、「語りえないもの」を“語りうる”のだから、
「人をなぜ殺してはいけないか」の理由も知っているはずだ。
その“神”が「いけない」というのだから、
「人を殺してはいけない」のだ。
すなわち、“神”という全能者が、
いっさいの「正しさ」の根拠となるのが、宗教の特徴です。
だから、B氏の説得力は、
B氏がどれだけその「信仰」をゆるぎなく持っているか、
という点にかかっています。
また、「なぜ人を殺してはいけないの?」と
問うた当人が、B氏の宗教の信者であるかないか、
によっても変わってくるでしょう。
あまりに単純すぎると思う人もいるかもしれませんが、
近代以前は多くの領域で、
このような仕組みによって物事の「正しさ」が保障されていたのです。
これがすごいことなのは、
近代以降、いかに我々が、
「正しさ」の判断をするために苦労しているか、
を考えてみれば分かるでしょう。
● 芸術家のC氏の場合
芸術家のC氏ならどうするでしょうか。
ある意味、もっとも予測がつかないことをしそうです。
絵を描き始めるかもしれないし、
刑務所まで行ってパフォーマンスをするかもしれないし、
「なぜ人を殺してはいけないの?」と
たずねてきた当人を巻き込んで、
ひとつ劇を作ってしまうかもしれません。
悪い芸術家なら、「じゃあやってみな」といって、
自分の胸をナイフで刺してみろ、と詰め寄るかもしれませんね。
なぜなら、芸術家の表現とは、
常に既存の価値観の枠組みからはみ出ようとするものだからです。
職人芸との違いは、そこにあります。
職人は、積み上げた技能を発揮することを目的としますが、
芸術家は、その技能を使って、
我々の目を、それまで見ていた世界の外に向けようとするからです。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
4)【では心理臨床家は?】
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
以上の実践を踏まえて、
心理臨床家はどうするのでしょうか。
芸術家のような人たちは、
ある種のタレント(天才)であって、
これまで我々の社会になかった新しい可能性を、
切り開くことを職業としています。
その意味で、心理療法家のスタンスは、
エンジニアや、職人に近くなるでしょう。
彼らが創造した「語りえないもの」
の捉え方を利用して、
「なぜ人を殺してはいけないのか」
と尋ねてくるような子どもと関わる。
それを、比較的誰もが実践できるような方法論として、
確立したものが、心理療法と呼ばれるのかもしれません。
そう考えると、心理療法に必ず、
創始者の人格や、土台になっている哲学や、
心理学以外の理論的基礎が存在することが、
腑に落ちてくると思います。
また、物語や芸術、宗教が切り開いてきた
「語りえないもの」を捉えるための可能性は、
人類全体が、自分たちの知恵として蓄積してきて、
日常のコミュニケーションの中で、
気づかれないくらい当然のものとして用いているものでもあります。
例えば、日本で生まれた人ならば、
就職活動がうまくいかない人に対して、
「縁のモノだから」という言い回しを耳にしたことがあるでしょう。
「縁」という不思議なつながりを前提とすることで、
「就活の失敗=人格の否定」と考えて落ち込みがちな人に、
すこし柔らかな捉え方を促している。
これは仏教からきた言葉ですが、
我々は、それをそうと知らずに、日常の中で使っています。
心理臨床家の実践は、
その意味で、芸術家ほど新しく大胆でもないけれど、
この時代に生きる一個人として
”ふつう”にできることをする、ということになるでしょう。
もちろん、口で言うほど簡単なことではありませんが…。
しかし、その場合、
心理学を学ぶ意味、この時代に生きるほかの一個人とは異なる、
心理臨床家の関わりの独自性はどこにあるのでしょうか。
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5)【科学的検証の意味】
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ここで再び、「語りえないもの」を捉えることが出来ない、
と一番初めに否定されていた
科学が登場することになります。
「語りえないもの」を捉えようとする、
様々な実践の在り方の土台の上に、
ようやく、科学がその意味を持つことができそうです。
具体的には、
●自分のやっていることを自覚している。
●相手についての仮説を立て、それを検証、修正し続ける。
●有効な方法を検証し、理論化し、一般化しようとする。
という点が挙げられるでしょう。
これは、いわば、科学者の研究態度です。
心理臨床の独自性を挙げるなら、
上述のような実践行いつつ、それをあくまで論理で説明し、
修正し続けようとすること、といってもいいかもしれません。
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6)【心の実践図その2】
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心理臨床家は、
「語りえないもの」を捉えるために様々な実践の知恵を取り入れつつも、
そのような実践を科学的に検証し続けることで、
はじめて臨床心理学の立場から、
「語りえないもの」に向き合うことができる、
ということができそうです。
このことをまとめた上で、
心の実践図を修正してみましょう。
心の実践図2(仮)
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○「語りえないもの」に対する実践
●物語・文学→「語らないまま語ろうとする」
●宗教 →「“語られたもの”として信じる」
●芸術 →「語らないまま表現する」
↓
○実践を自覚・検証・修正する手段
●論理・科学→「(仮に)語りえるものとみなして語る」
↓
◎心理学的実践=心理臨床
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「語りえないもの」は、
我々がいまだ論理で捉えることができていない心の側面です。
それを理屈で捉えることは、
原理的に無理なのかもしれませんが、
それでも、
我々は“それ”を捉えようとする努力をやめないでしょう。
心理学、特に、臨床心理学においては、
この心の未知の側面に、
理論だけで向き合おうとはしません。
常に、心理学者その人の、
生身の人間としての実践が前提として存在し、
自分の実践を自覚し、検証・修正するための手段として、
科学者的態度、心理学理論を用いる、
と考えることができるでしょう。
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7)【議論し、考えること】
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世間一般では、心理学で「語りえないもの」に
答えを出すことができる、と期待する風潮もありますが、
そのように都合のいい理屈はどこにもありません。
答えを出すのは、結局、常に自分自身。
心理学は、その人の答えを出そうとする努力を、
鏡となって照らし返すために役立つのではないでしょうか。
とはいえ、おそらくこのことは、
正しい答えを出すことではなく、
各人が自分の意見を持ち、
議論し合う過程自体に意味があるように思われます。
心理学そのものが、
「語りえないもの」を捉えることができるかどうか、
それにどう答えを出すことができるのか、
という問いを、みなさんも考えてみてください。
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【次回配信】
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次回 【問題号】… 12月12日(火)にお送りする予定です。
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【参考文献】
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● ヴィトゲンシュタイン 藤本隆志 1998 講談社学術文庫
● どの宗教が役に立つか ひろさちや 1990 新潮選書
● イエスとは誰か 高尾利数 1996 日本放送出版協会
● 新訂 方法としての面接-臨床家のために 土居健郎 1992 医学書院
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【編集後記】
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※【Clip!勉強会】ゆるゆると始動しはじめました。
表参道の事務所で行っていますので、
興味ご関心がおありの方は、
まずはメールでお問い合わせください。
clip-academy@clinicalpsychology.jp
2006年も残りわずか。
1年半に渡って、心理学を様々な側面から
切って来た【Clip!アカデミー】ですが、
今回は、実践という側面から切るにあたって、
心理臨床の分野を検討するに至りました。
とはいえ、芸術や宗教の話が半分で、
どこが心理臨床の話なの?
と思われた人もいるかもしれませんね。
でも、心理学とか、心理臨床ならば、
今お持ちの参考書に、たくさん書いてあると思います。
それに比べて、芸術や宗教と、
心理臨床とのつながりということになると、
興味がなければなかなか眼に入る機会がないと思います。
しかし、心理臨床の多くは、
芸術や宗教に非常に密接につながっています。
そもそも、フロイトの精神分析からして、
彼がユダヤ人でなければ、出てこなかったものでしょう。
そして、ユダヤ人については、
ユダヤ教に関する最低限の知識は抑えておく必要があります。
などと言い出すときりがないですね。
ただ、心理臨床の実践というものは、
ただでさえ徒手空拳で、非常に心もとないものなので、
様々な先人たちの知恵やセンスを、
少しでも取り入れるために、
常に偏見なく、自分の専門外のモノに、
眼と心を開いておきたいという思いがあります。
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送信者:臨床心理士指定大学院受験講座
http://www.clinicalpsychology.jp/
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