【Clip! アカデミー】 第54回 2006/9/12
第1週 エッセイ号「心の物語図」
◆提供:臨床心理士指定大学院受験講座◆
http://www.clinicalpsychology.jp/
◆目次◆
1)【前回までのまとめ】
2)【納得すること】
3)【物語モードから捉える】
4)【理屈の合わない“何か”を問うということ】
5)【物語の社会的構成】
6)【物語と科学的言説】
7)【再度、心理学を勉強することの意味】
【次回配信日】
【参考文献】
【編集後記】
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○ ~~~~~~Clip!アカデミーサイクル~~~~~~ ○
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■ 基本サイクル ■
※【今回はこちら!】第1週「エッセイ号」…問題提起
↓
第2週「問題号」…練習問題
↓
第3週「解説号」…確認とフィードバック
↓
第4週 基本的にお休み
(特別号が配信される場合があります)
↓
■ 第2サイクルへ続く ■
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1)【前回のまとめ】
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前回エッセイ号では、
我々は、物語という形式についての前提を
検討してきました。
我々の知覚の成立過程や、TV番組のドキュメンタリーを例に、
我々が体験し、接している世界についての情報は、
全て何らかのレベルで加工・編集されていることを見てきました。
加工・編集されている、という意味において、
ありのままの現実、真実というものは、
実際には存在しない、という考え方が成り立ちます。
つまり、普段我々が前提としている、
フィクションとノンフィクションの関係、
虚構か現実か、という垣根に、
実際的な根拠はないということです。
いうなれば、全てはフィクションであり、
“現実”とは「ある」ものではなく、
我々が社会的に「作り出す」ものだということです。
これが社会的構成主義と呼ばれるものです。
社会的構成の過程と、その形式には、
ナラティブ(物語・語り)というものがあります。
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2)【納得すること】
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本メルマガを通して、
これまで“こころ”を様々な側面から検討してきました。
こうした側面とは、
捉えどころのない“こころ”なるものを、
どのように捉えるか、
という、心理学を中心に実証的に研究を重ねてきた、
先人たちの努力の結晶に基づいています。
しかし、
こうした科学的な説明の中に、
心についての最終的な解答は見つかっていません。
理屈で説明できたように思えても、
我々の方で、どうも実感できない、納得しきれていない、
というモヤモヤが残るからです。
はたして、“こころ”には、
我々が納得できる、実感できる説明は
ないのでしょうか。
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3)【物語モードから捉える】
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ここで、
「納得する」、「実感する」、という現象の捉え方と、
「実証できる」、「妥当性がある」、という捉え方との間の、
原理的な違いを押さえておく必要があります。
J・S・ブルーナーは、
こうしたふたつの思考様式を、
論理-実証モード(paradigmatic mode)と、
物語モード(narrative mode)と呼んでいます。
つまり、ブルーナーは、
納得したり、実感したり、という対象の把握の仕方に、
対象を「物語として語る」という、自然科学的なアプローチとは、
ことなる思考様式を見ていたということです。
本メルマガでも、“こころ”についての、
納得できる、実感できる説明= 物語としての“こころ”
として、心の物語的側面について検討していきましょう。
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4)【理屈の合わない“何か”を問うということ】
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昔から、
人間の在り様を明らかにする、という行為は、
科学に関わらない日常の中では、
物語として行われてきました。
それは、必ず「なぜ」という問いかけからはじまります。
いくつか例を挙げて見ましょう。
●神話・宗教・文学
起源=女神が泥をこねて人間を作った。(中国神話)
罪=善悪を知ったために楽園を追放された(聖書)
自分=「人間、失格。もはや、自分は、
完全に、人間で無くなりました。」(太宰治)
●哲学・心理学・精神医学
不合理性=人間は無意識に突き動かされる(フロイト)
人間=人間は白紙から始まる(ロック)
人間は機械である(デカルト)
●事件報道
戦争・事故は、なぜ起こったのか
犯人はなぜそのような犯罪を犯したのか
●入学・入社試験
「なぜ入りたいのか」(志望動機)
「私は誰か」(自己PR)
これらの物語の持っている構造について検討してみましょう。
●問いが存在する
●問いに答えるものとしての物語が必要とされる
●物語的なロジックに従って、出来事が語られる
●問いの答え=意味・理由を説明する物語が生まれる
ここから、
●心の物語図(仮)
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それまでの理屈では説明ができず、納得ができない“何か”
↓
物語的ロジック
↓
物語による理解
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という図式が考えられそうです。
つまり、
物語とは、
我々が理屈で説明できない“何か”を、
納得できるように変換してくれるもの
ということができます。
それは、
我々が主観的に受け取り可能な
「意味」「理由」を与えてくれるのです。
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5)【物語の社会的構成】
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物語は、我々が“何か”を納得するために、
必要とするものです。
そして、それは、
「意味」や「理由」が、外から要求されるとき、
もっとも明白になります。
もっともビビットな例を挙げましょう。
大学院受験の面接において、
「なぜ心理学を学びたいのか」
「なぜ臨床心理士になりたいのか」
と問われたら、
皆さんならどう答えますか?
どんなに熱意と実感がこもっていても、
「なんとなく」では、
面接官は納得しないでしょう。
面接官は、あなたという人間が分からないのに、
短い時間で、履歴書や面接態度などの限られた情報だけで、
合格・不合格を判断しなければならないのです。
履歴書によほどの自信があれば別ですが、
あなたは、短い時間で、
履歴書、身なり、表情、口調、など、
あなたを示すバラバラな情報を、
相手の不安を取り除き、納得させる「理由」
に変換する必要があります。
つまり、
「なぜ臨床心理士になりたいのか?」
という問いを中心にして、
あなたのこれまでの人生、面接場面での態度などを、
材料にした物語を作る必要があるのです。
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履歴書、面接態度
↓
「なぜ臨床心理士になりたいのか?」
=履歴書+面接態度+エピソード…+n
=説明してくれる物語
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ここで、「=」や「+」であらわされた部分が、
物語の持つ様式であり、論理だといえるでしょう。
あなたが語った物語を、
相手が納得してくれれば、
あなたの物語は、社会的な“事実”として受け入れられます。
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履歴書、面接態度
↓
●「なぜ臨床心理士になりたいのか?」
=履歴書+面接態度+エピソード…+n
=説明してくれる物語
↓
「この物語は事実である。」
=合格=大学院で学ぶ理由がある
=======================
つまり、物語として語った
「将来の臨床心理士としての自分」が、
社会的なアイデンティティとして認められるのです。
言い換えれば、
アイデンティティという自分の寄って立つ基盤も、
このように、見方によっては脆弱な足場に立っています。
しかし、それが“事実”になるのは、
面接の場のような様々な場面において、
こうした物語が他者(聞き手)との間で
社会的に構成されているからなのです。
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6)【物語と科学的言説】
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これまで検討してきた、
様々な心理学の側面も、
科学的言説でありながら、
「物語」として捉えることができます。
なぜなら、心理学が対象とする、
“こころ”というもの自体が、
我々人間にとって、もっとも理不尽で、
説明しがたい存在概念だからです。
それを納得するために、
用いている様式は違えど、
神話も科学も、おなじように、
「なぜ人間には“こころ”があるのか」
と問い、その答えを探してきたのだといえるでしょう。
そのために、心理学概念は、
科学的方法論にしたがって研究され、
論理-実証的なロジックにしたがって構成されていても、
同時に、物語的ロジックとしての意味も背負わされているといえます。
●心の物語図2(仮)
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それまでの理屈で説明できない“何か”=“こころ”
↓
科学的ロジック/物語的ロジック
↓
物語としての“こころ”=心理学理論
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こうして、心理学の提示する
“こころ”の様々な側面のどれかを、
“こころ”の説明として納得するということは、
●“こころ”をめぐる無数の物語の中から、ひとつを選ぶ、
ということになります。
“こころ”の物語的な側面を捉えるということは、
そのようにして、最終的には、
個々人が、
「自分の“こころ”とはこういうものだ」、
という、それぞれの「物語」を手に入れる、
ということになるのかもしれません。
7)再度、心理学を勉強することの意味
自分の“こころ”とはこういうものだ、と納得する
プロセスは、誰もがやっている、
もしくは、過去にたどったことのあるプロセスのはずです。
しかし、
心理学を勉強するということは、
単に自分なりに納得する、ということとは違うはずです。
次の三つの点で、それとは異なると考えられます。
1、“こころ”全体の見取り図(空白多し)を持っている
2、いつでも違う側面に視点を切り替える用意がある
3、その上で、あくまで“仮に”、ひとつの説明=ナラティブを、
自分の納得できる説明として受け入れている
1と2は、訓練によって育まれる科学者としてのスタンスです。
しかし、3は、それとは異なる人間としてのスタンスです。
付け加えるならば、
この3つを、常に自覚している、
ということが重要なのかもしれません。
1と2がなければ、
現状を分析し、仮説を立て、検証することができないし、
3がなければ、
学問的知識を、畑の違う人に、自分の言葉で語る、
ということができないでしょうから。
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【次回配信】
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次回 【問題号】… 9月19日(火)にお送りする予定です。
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【参考文献】
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● 人間失格 太宰治 1952 新潮社
● 可能世界の心理 J・ブルーナー著 田中一彦訳 1998 みすず書房
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【編集後記】
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ナラティブに関する議論は、
ここ最近で人文科学・社会科学において、
大きな潮流になりつつあります。
その潮流がどのように心理学に流れ込んでくるか。
現時点では、ナラティブセラピーなど、
心理療法の一流派のように認識されていますが、
影響はそれだけにとどまらないでしょう。
むしろ、心理学における、
対象の捉え方、研究法の面で、
ブレイクスルーを期待したいものです。
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送信者:臨床心理士指定大学院受験講座
http://www.clinicalpsychology.jp/
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2006年9月12日火曜日
【Clip!アカデミー】第54回:エッセイ号「心の物語図の中身」
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