【Clip! アカデミー】 第54回 2006/08/29
第3週 解説号「心の物語図を立ち上げる」
◆提供:臨床心理士指定大学院受験講座◆
http://www.clinicalpsychology.jp/
◆目次◆
※【お詫び】※
1)【前回のまとめ】
2)【問題の解説】
【Q1】知覚に関する問題
【Q2】物語論の学問的根拠に関する問題
【Q3】ナラティブに関する問題
【次回配信日】
【参考文献】
【編集後記】
==================================================================
○ ~~~~~~Clip!アカデミーサイクル~~~~~~ ○
◆ 【Clip!アカデミー】は、
心理用語を紹介するだけの従来の心理系メルマガとは異なる、
1ヶ月(3週)1サイクルで完結するユニークな
無料心理学メールマガジンです。
■ 基本サイクル ■
第1週「エッセイ号」…問題提起
↓
第2週「問題号」…練習問題
↓
※【今回はこちら!】第3週「解説号」…確認とフィードバック
↓
第4週 基本的にお休み
(特別号が配信される場合があります)
↓
■ 第2サイクルへ続く ■
○ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ○
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
※【お詫び】※
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
| 前回のClip!アカデミー(第52回問題号)において、
| 【Q1】の問題文に記載上のミスがありました。
|
| 以下に、正誤表を示します。
|
| ×…ヘルムホルツが著作「」で提唱し、
| 現在でも支持されている概念を、
| 以下の選択肢から選びなさい。
|
| ○…ヘルムホルツが著作「生理光学ハンドブック」で提唱し、
| 現在でも支持されている概念を、
| 以下の選択肢から選びなさい。
|
|
|真剣に問題に向き合ってくださった読者の皆さんに、
|心からお詫び申し上げます。
|
| Clip!アカデミー事務局一同
|
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
1)【前回のまとめ】
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
”こころ”を、様々な側面から捉えようと、
これまでいろいろな試みを行ってきた本メルマガですが、
前回から、心の物語的側面を追っています。
あやふやで、よく分からない”こころ”。
心理学は、”こころ”を対象にするといわれながら、
我々は、”こころ”がどのようなものか、
研究の対象としても、よく知りません。
もっとも、よく分かっていれば研究する必要もないわけですが、
よい研究をするには、
研究の対象を、どのように捉えるかに、
大きく影響されるのです。
それなのに、”こころ”はうまく捉えられないから、
研究しようとすると、困ってしまうのです。
そこで必要なのは、
先人たちが、どのような捉え方をしているか、
の全体像を、知っておくこと。
それが、心理学の基礎を学ぶということです。
その上で、自分がしたい捉え方は、
そのどこに位置付くのかを考えること。
これが、心理学の中に身を置く、
ということになるでしょう。
このメルマガが、
その一助になればと考えています。
前回問題号では、エッセイ号での、
”こころ”の在り様を、物語という側面から捉えるための、
全体的なイメージを受けて、
そうした見方を裏付けるような、
基本事項を取り上げた問題をお届けしました。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
2)【問題の解説】
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【Q1】知覚に関する問題
ヘルムホルツが著作「生理光学ハンドブック※」で提唱し、
現在でも支持されている概念を、
以下の選択肢から選びなさい。
======選択肢======
a.知覚的推論
b. 潜在的知覚
c. エコロジカルアプローチ
===============
正解は、 【 a. 】
※ 問題号では、肝心のヘルムホルツの著作名が
抜けていました。
改めてお詫びしたいと思います。
ヘルムホルツは、我々が現象を知覚するとき、
すでにそのなかに、
知覚対象について推論する過程が存在していると考えました。
一般的に、
人間の眼球はよくカメラのレンズに例えられ、
ありのままの外界を写していると考えられています。
この例でいえば、視覚は、
写真を現像する過程にあたるかもしれません。
しかし、こうした知覚に対する捉え方は、
心理学では、かなり初期から疑問視されているのです。
知覚的推論とは、つまり、
ドキュメンタリーの編集作業のように、
知覚の初期段階において行われている、
仮説構築と、それに対応した編集過程を示している、
と考えることが出来ます。
なぜ、そんな編集作業が必要なのでしょうか。
分かりやすい例で言えば、
遠くの丘に人影が見えたけれど、
近づいたら枯れ木だった、という場合です。
始めの第一印象で人影に見えたとき、
視知覚は、非常に限られた情報を用いて、
瞬時に結論を出すことを優先します。
もし、人影が敵だった場合、
その瞬間に対応できなければ、
自分が危険にさらされる、
という環境に適応してきた結果です。
とりあえず「こうかな?」と対象を推論し、
その証拠になるような情報で、結論を組み立ててしまう。
その後の追加情報で間違っていたら、
「まちがっていました」
と新しい知覚を組み立てるわけです。
こうした潜在的知覚の過程は、
情報は足らないけれど、
瞬間的になんらかの結論を出さざるを得ない状況の中で、
進化してきたと考えられます。
よく、「この目で見たんだから間違いはない」
という言い方をしますが、
確からしさの尺度でもある我々の知覚も、
よくできたドキュメンタリー以上の
正確さを持ちえることは、できないということなのです。
ただし、知覚が記憶やTV番組と異なる点は、
写真やフィルムのコマのように、
一瞬一瞬が完結しているわけではないところです。
知覚は、我々が動き続ける限り常に“仮の”像であって、
我々が外界に働きかけることで積極的に構成されていくものと考えられます。
こうしたダイナミックな知覚についての考え方は、
J・J・ギブソンに始まるエコロジカル・アプローチ
に見られるものです。
【Q2】物語論の学問的根拠に関する問題
物語について、科学的に論じようとする場合、
依拠できる学問領域はどれか。
次の選択肢のうちから、もっとも適当ではないものを、
ひとつ選びなさい。
===選択肢===
a.文化人類学
b.文学
c.社会学
d.言語学
=========
正解は、 【 b. 】
心理学を勉強する皆さんの中には、
物語について研究する、というと、
ユングやフロイトが取り上げた夢分析や、童話の力動的解釈といったことが
思い浮かぶ人が多いのではないでしょうか。
もちろん、それも間違いではないのですが、
ここでは、少し意地悪をしてみました。
ここでは、物語を“科学的に論じ”ようとする場合、
比較的オーソドックスな、
物語の持つ形式や構造に着目する、という捉え方に
注目して論じていきたいと思います。
近年、そうした視点から物語について注目してきたのは、
文化人類学と社会学の二つです。
とはいえ、社会学と、文化人類学では、
おそらく、物語を分析するために用いる分析装置は、
同じルーツを持っています。
それは、ソシュールによる言語構造の分析にはじまり、
文化人類学において、レヴィストロースによって文化構造の分析にまで
応用されるに至った、構造主義的なアプローチのことです。
構造主義は、研究者たちが研究対象を捉える際の焦点を、
対象の実体や内容から、対象を含む構造や関係にシフトさせる
ことに成功しました。
つまり、彼らはそれまで、言葉や風習の内容を収集し、比較していましたが、
構造主義以後は、個々の言葉や風習が
言語や文化の中にどのように位置づけられ、
どのように構造化されているかを分析できるようになったのです。
一見でたらめに見えた異民族の風習が、
実はその背後に数式のごとく一貫した構造を持っていることを発見した、
レヴィ・ストロースの興奮たるや、いかばかりだったでしょうか。
文化人類学は、このような武器を持つことによって、
わが身を科学として証し立てていくことができたのです。
ですから、物語を構造主義的に分析する場合、
内容よりも、構造や、形式、関係が重視されます。
社会学においては、物語は、
コミュニケーションという行為を分析するために
クローズアップされていきました。
「あなた」に「わたし」のことを知ってもらうには、
「わたし」を指し示す記号を示すか、
「わたし」についての物語を語る以外に、
我々は方法を持っていません。
特に我々は、
お互いのことを知り、直接体験できない社会やその外の世界について
知るために、多くを物語の形式に依存しています。
なぜなら物語は、
記号と異なり、語られた対象を、
聞き手が実感し、追体験することを可能とするからです。
物語を「語る」プロセスは、
常に語り手と聞き手との共同作業の中で、
ふたりにとっての「現実」を構成していくと考えられます。
そこから、社会的現実を研究するために、
社会学において発展してきたのが、
ナラティブ・アプローチと呼ばれる方法です。
心理学においても、
質的研究を行うときには、
これらのふたつの潮流は無視することが出来ません。
文学において、構造主義的な視点から、
物語分析を試みたのは、フランスの批評家、ロラン・バルトですが、
他の学問と比較して、“科学性”にはあまり重きが置かれておらず、
方法論としてオーソドックスなものとはいえないようです。
【Q3】ナラティブについての問題
ナラティブを巡る以下の文章の中で、
内容の間違っているものはどれか。
最も適当なものを、選択肢の中から選びなさい。
=============選択肢===========
a. 物語を語ることを、ナラティブという。
b. NBMは、近年盛んになってきた、
ナラティブベイスドメディスンの略である。
c. ナラティブアプローチは、
社会構成主義へのアンチテーゼとして提唱された。
d. ナラティブを重視するのは、
ナラティブ・セラピストたちだけではない。
===========================
正解は、 【 c. 】
物語論は、近年、社会学や人類学、
また精神科医療や心理療法においても、重要な理論になりつつあります。
これまで、あえて「物語」という語を用いてきましたが、
ここでいう「ナラティブ」に対して、
もう少し裾野を広く取っておきたかったためです。
しかし、ナラティブという言葉には、
「物語」のほかに、「語り」という意味もあるため、
厳密には両者を区別したほうがいい場合もあり、
一般的には、「ナラティブ」というカタガナ語が用いられています。
ナラティブの定義は立場によっても様々ですが、
もともとは、人類学における、
昔話や神話の構造分析の流れを汲んでいるといわれます。
そして、
●終わりと始まりがある
●因果関係や時系列で並べられている
などを最低限の構造として持っています。
ここで重要なのは、
このテクストが、単なる文章や昔話にとどまらないということです。
我々は、日々あらゆる場面で自分や他人、様々な出来事を、
物語の形式でやり取りしていることから、
ナラティブアプローチは、
我々の社会におけるコミュニケーションそのものに、
大きく関わってくるのです。
この物語は、その場その場で話し手と受け手の間で形成されており、
あるときはAさんが悪者になり、
またあるときは、Bさんが悪者になる、という具合に、
「語り」方によって同じ出来事が、まったく異なる物語になります。
つまり、話し手の「語り」方によって、
同じ出来事にも無数のバリエーションがあることになり、
ここから、そもそも「現実」自体が、
社会的に構成されているフィクションである、
と考える、社会構成主義という考え方が出てくることになります。
この「現実」の中には、
物語の語り手である「わたし」自体も含まれます。
今ここにいる「わたし」は、
確固とした生物学的・実存的な確かさが存在していても、
社会的存在としては、他のフィクションと変わりなく、
語り、語られることでしか存在しないことになります。
ここに、精神科医療や心理療法における、
ナラティブの重要性があります。
患者の語る「わたし」についての物語に耳を傾けるということは、
患者とともにあるフィクションを形作り、
そのフィクションのルールを通して、
患者とかかわるということです。
そうしたフィクションについてのフロイトの洞察に立脚し、
ナラティブの次元で患者とかかわるのが、
ナラティブベイスドメディスンのあり方です。
それは当然、M・フーコーの看破したような、
社会における「患者」と「医者」というフィクション、
歴史における「病者」と「健常者」というフィクション、
などなど数多くのフィクションと、地続きになっています。
ですから、ナラティブベイスドの立場に立つということは、
実は個人の問題と同じくらい、社会や、歴史の問題に向かい合う
ということになります。
患者とは何か、病とは何か。
ナラティブベイスドに立つすぐれた医者ほど、
こうした問題について、著作を残しているのは、
そのような理由があります。
NBMに対する医療的立場として、
エビデンスベイスドメディスン(EBM)がありますが、
心理療法家は、当然ナラティブベイスドの立場を取らざるを得ません。
当然、これからますます社会的な問題に取り組まざるを得なく
なっていくと思われますが、
現時点では、この部分は、臨床心理士の苦手科目な気がします。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【次回配信】
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
次回 【エッセイ号】… 9月12日(火)にお送りする予定です。
※ 次週9月5日(火)は休刊です。特別号が配信されることがあります。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【参考文献】
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
● 現代心理学「理論」辞典 中島義明 2001 朝倉書店
● Mind Hacks 実験で知る脳と心のシステム 2005
トム・スタッフォード 著 オライリージャパン
● ナラティブ・セラピーの世界 小森 康永 1999 日本評論社
● 人生を物語る-生成のライフヒストリー- やまだようこ 編 2000
ミネルヴァ書房
● あなたへの社会構成主義 ケネス・J・ガーゲン 2004 ナカニシヤ出版
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【編集後記】
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
そろそろ大学院では、9月入試が近づいてきています。
大学院が増えつつある現在だからこそ、
入学後に、自分に自信を持って専門の勉強に専念するためには、
基礎知識というバックグラウンドが欠かせません。
そして、入試だけをゴールに持ってくるのではなく、
自分がどのような臨床家として、
どのような現場で働きたいのか、
その目標をもう一度確認して欲しいと思います。
このメルマガは、
入試への最短ルートを急ぐ人からすれば、
道草のようなものかもしれません。
しかし、臨床活動という行為が、
単純に目標達成を競い、能率を追い求めるものでない以上、
今このメルマガを読んでいる皆さんは、
大学院に入る前からすでに、
ライバルたちの一歩先を行っていると言って
いいのではないかと思います。
この一歩は、小さいモノに思えるかもしれません。
しかし、大学院を出たからといって、
全員が歩んでいるとは言えない一歩なのです。
====================================================================
送信者:臨床心理士指定大学院受験講座
http://www.clinicalpsychology.jp/
※Clip!アカデミーの記載内容は臨床心理士指定大学院受験講座に帰属します。
無断転載・転用を禁止します。
2006年8月29日火曜日
【Clip!アカデミー】第53回:エッセイ号「心の物語図の中身」
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿