【Clip! アカデミー】 第66回 2007/1/2
第1週 エッセイ号「心の未知の側面に触れること」
◆提供:臨床心理士指定大学院受験講座◆
http://www.clinicalpsychology.jp/
◆目次◆
1)【前回のまとめ】
2)【臨床心理学によって、人の心が理解できるか】
3)【理解への欲求】
4)【心理学の捉え方】
5)【研究のためのモデル】
6)【観察するためのモデル】
7)【心理臨床家は人の心が分かるか】
8)【想像力】
9)【心を理解するための労力】
10)【最後に言いたいこと】
【次回配信日】
【参考文献】
【編集後記】
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○ ~~~~~~Clip!アカデミーサイクル~~~~~~ ○
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■ 第2サイクルへ続く ■
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1)【前回のまとめ】
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心の実践図(仮)
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●論理・科学→「語りえないもの」を「(仮に)語りえるものとみなして語る」
●物語・文学→「語りえないもの」を「語らないまま語ろうとする」
●宗教 →「語りえないもの」を「“語られたもの”として信じる」
●芸術 →「語りえないもの」を「語らないまま表現する」
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心の実践図2(仮)
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○「語りえないもの」に対する実践
●物語・文学→「語らないまま語ろうとする」
●宗教 →「“語られたもの”として信じる」
●芸術 →「語らないまま表現する」
↓
○実践を自覚・検証・修正する手段
●論理・科学→「(仮に)語りえるものとみなして語る」
↓
◎心理学的実践=心理臨床
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心の実践図の検討では、
「語りえないもの」を捉えるには、
論理ではなく、実践によるしかない、
という観点から、心理臨床実践について検討してきました。
その結果、心理臨床と、物語や芸術、宗教といった、
「語りえないもの」に対する取り組み方との違いを、
実践を科学によって自覚し、検証し、修正する態度に見出すことができました。
今回は、第3回目の検討として、
“こころ”を捉える上での、
臨床心理学の限界について考えて行きましょう。
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2)【臨床心理学によって、人の心が理解できるか】
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これまでの検討の中で、
心の未知の側面=「語りえないもの」を捉えるには、
論理よりも、実践が効果的であるということが、
分かってきました。
そして、心理学的実践においては、
自らの実践を科学的に自覚し、検証し、修正する
枠組みを持っているところに
特徴があるという結論に至りました。
しかし、臨床心理学においても、
科学的枠組みは、単に実践の補助だけでなく、
研究によってモデルを構築し、その一般化を図るという、
学問本来のあり方も重要視されています。
ここでは、実践を自覚する、
という科学的視点が重要な意味を持ってきます。
文学や芸術に必要なのは非凡な直観であり、
端的に言えば、自らが実践していることを、
理解している必要はなかったのです。
しかし、心理学的実践である、
心理臨床は、科学的な実践である以上、
その実践の理解を必要とするはずです。
つまり、
臨床心理学によって、人の心を理解できるか
という問題が出てくることになります。
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3)【理解への欲求】
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そもそも、現代において、
なぜ心理学がこのような関心を集めているのか。
それは、心理学によって人の心を理解できる、
と期待するから、ではないでしょうか。
ここでの「人の心」とは、
簡単にいうと他人の気持ちといっていいでしょう。
●なぜ不可解な殺人が起こるのか。
●なぜ彼氏は彼女を愛しているのに邪険に扱うのか。
●なぜ自分はこんなにつらい思いをしなければならないのか…。
挙げだしたらキリがないくらい、
我々は「なぜ」をたくさん持っています。
皆さんもおそらく、
自分だけの「なぜ」をたくさん持っているでしょう。
でなければ、心理学に関心を持つことは
少ないだろうと思います。
そして、その答えは、
結局は人の心の不可解さ、理解しがたさ、という点に集約され、
謎というベールによって、我々から隔てられている、
と感じられる。
それに妥当な答えを与えれくれそうに見えるのが、
昔であれば文学であったり、今であれば、
心理学であったりするわけです。
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4)【心理学の捉え方】
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それでは、心理学は、人の心を、
どのように捉えようとするのでしょうか。
今回はじめてご覧になった方でなければ、
皆さんは、本メルマガが、
このテーマを繰り返し様々な角度から取り扱ってきたことを、
ご存知だと思います。
ここでは、現在の心理学の主流になりつつある、
認知的な捉え方に従いたいと思います。
認知心理学が捉えようとするもの。
それは、心の模型=モデルですね。
模型を作って見せて、
「心ってこんなものではないか」ということ。
たとえば“記憶”は、
パソコンのハードディスク上の、
データのようなものではないか、
と仮に考えてみることにするわけです。
ただし、心理学における模型も、
それを設計図にして実物を再現できるくらい、
具体的なものである必要があります。
そこで、心理尺度によって潜在因子を探し出し、
因子同士の関係性を探る中で、
最終的に因果関係を説明できるモデルを作り出す、
という手続きが一般的にとられています。
とても、心全体についての模型を
一人で作ることはできそうにない。
だからそのために、
日々の研究においては、
心理学者は、“こころ”そのものではなく、
記憶や感情といった、全体を構成するであろう、
重要な一部分についてのモデルを検証することに力を注ぎます。
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5)【研究のためのモデル】
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こうして、日夜様々な心理尺度が構成され、
心理学モデルが提唱されていますが、
これは、人の心を理解した、ということになるのでしょうか。
重要な点でありながら、
誤解されていることが多いのは、
基礎心理学における心理学モデルは、
あくまで研究のための模型だ、という点です。
少し意地悪な言い方を許してもらえるならば、
それは、
カエルの神経のホルマリン漬け、
のさらに模型
のようなものなのです。
つまり、心がどういうつくりになっているのか。
たとえば「注意力」は、
ブロードベンドのフィルター仮説においては、
こう説明されています。
外界からの情報を取捨選択するための「フィルター」
を想定することで、カクテルパーティー効果といった、
注意を向けた音だけが鮮明に聞こえる、という現象を説明できる。
カエルの全身の神経がホルマリンに浮いている様子は、
子ども心には強烈な印象を与えますが、
それはさておき、
模型を作ってみることで、注意力という現象を、
様々な角度から観察し、研究することができます。
しかし、それによって、ここで検討している「なぜ」を
理解することはできるでしょうか。
役に立たないというよりも、
そもそも目的が異なるのだ、
という点に注意する必要があります。
つまり、基礎心理学による研究の積み重ねは、
そのままで実践に適用するというより、
応用のための土台として用いるためのものなのです。
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6)【観察するためのモデル】
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それでは、臨床心理学におけるモデル
ならば、「なぜ」を理解することができるのでしょうか。
我々は核心に近づきつつありますが、
答えはここでもNoでしょう。
心理学モデルである以上、
基礎心理学であろうと、臨床心理学であろうと、
条件も限界も変わらないはずです。
たとえば、セリグマンの
学習性無力感というモデルを見てみましょう。
自分の努力と不幸な結果が無関係であること(随伴性の欠如)を
学習してしまうと、
何をしても無駄だ、という無力感を生じ、
抑うつ状態の形成につながる。
なにをしても逃げられないようにして、
犬に電気ショックを与え続ける。
すると、逃げられるようにしても、
犬は電気ショックから逃げないようになる。
自分の努力はすべて無駄だ、
と考えるようになるというのです。
ずいぶん残酷な実験ですね。
ここから、
人間におけるある種の抑うつ状態の形成にも、
学習性無力感が関与している、
というモデルを作ることが出来ます。
こうしたモデルの利点は何でしょうか。
それは、現象を違った観点から見ることが出来る、
という点にあるでしょう。
DV(domestic violence)を夫から受ける女性が、
逃げようと思えば逃げられるのに、
いつまでたっても逃げようとしないのは不可解です。
しかし、学習性無力感というモデルから見ると、
そこに、一定の理屈を見ることが出来るのです。
つまり、ここでは、
心理学モデルは研究のための道具ではなくて、
相手を観察するための道具として用いられているのです。
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7)【心理臨床家は人の心が分かるか】
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ここまでくると、
なんだか、「なぜ」といいたくなる、
人の心の不可解さ、を少し理解したような気分になりますね。
これが、心理学を勉強するということなのか、
と思われた方も多いのではないでしょうか。
さて、ここで、くどいようですが、
もう一度繰り返します。
●…だからといって、心理臨床家が、
人の心を理解できる、といえるか。
これも、あえてNoと言いたいと思います。
学習性無力感についてなら、
書店に出かけてモノの本を読めば、
いくらでも書いてあるでしょう。
しかし、そうした心理学モデルで、
人の心を理解できる、という発想は、
少なくとも心理学者に許されるものではない。
おそらく文献の著者も、
その辺は厳しく区別しているはずです。
あくまで“それ”は、
死んだカエルの模型に過ぎないからです。
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8)【想像力】
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しかし、この辺まで来ると、
果たして本当にNoなのか?
というモヤモヤが出てきている人が多いのでは
ないでしょうか。
特に、DVの女性の話など、
なぜだろう、と不可解に思ったとところで、
学習性無力感の話が出てくると、
なるほど、と納得させられるところがあります。
これはなぜでしょうか。
DVを受けている女性が逃げない心情を
一瞬想像できたからではないでしょうか。
異なる視点から見ることで、
不可解だった世界の中での他者の気持ちを想像する。
ここまできて、はじめて、
相手の心についての理解の糸口が見えてきたようです。
そう、想像力。
一般と異なる角度から現象を見る中で、
相手の世界、気持ちを、それまでとは違った形で想像すること
ができるようになったということです。
もし、ある心理臨床家が人の心を理解できるとしたら、
おそらくそれは、こうした想像を繰り返しする中で、
相手の世界を、様々な角度から違った形で想像することが、
できるようになったということでしょう。
それでも、あくまで相手の世界、気持ちを理解する、
糸口に過ぎませんが。
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9)【心を理解するための労力】
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そして、ここまでくると、その理解は、
心理学のおかげ、とは言えないことが分かります。
というのは、こうした理解は、
真剣に相手の気持ちを理解しようと
想像力を働かせ続けてきた人々の理解と、
ほとんど変わらないものだからです。
一流の作家、芸術家、宗教家、ほかにも、
一流の営業マン、教師、医者…。
異なるのは、道具や角度。
実際、現象や相手を見る角度や、道具は、
心理学モデルでなくても全く構わない。
つまり、心理臨床家が
相手の気持ちを理解するために行っていることは、
他の人間の営みと全く変わるところがない。
心理学によって、
魔法のように引っかかっていた「なぜ」が分かる、
ということはないということです。
心理学によって他人の心を理解するために必要な労力は、
日常において必要とする労力と、
まったく変わらないということになります。
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10)【最後に言いたいこと】
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つまり、臨床心理学によって人の心は分からない。
人の心を理解するのは、人の心だということ。
人の心を理解するための苦労は、
心理学を用いてもまったく軽減されない。
しかし、文学によってしか捉えられない人間理解があるように、
心理学によってしか見ることが出来ない角度というものが
あるのではないでしょうか。
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【次回配信】
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次回 【問題号】… 1月9日(火)にお送りする予定です。
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【参考文献】
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● 新訂 方法としての面接-臨床家のために 土居健郎 1992 医学書院
● 心理臨床大辞典[改訂版] 氏原寛 亀口憲治 成田義弘 東山紘久
山中康弘 共編 2004 培風館
● 新版 心理臨床家の手引 鑪 幹八郎 名島 潤慈 編 2000 誠信書房
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【編集後記】
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ここで言いたいことは、とてもシンプルです。
心理学を学んだだけでは、
コミュニケーション能力や思いやりや、
共感能力は身に付かない、ということです。
特に、文献の上では難しいでしょう。
ただし、想像力だけで様々なことに気づいていくことが
出来る人も、中にはいるかもしれません。
逆に、心理学を学んでいなくても、
コミュニケーションのセンスがいい人というのは、
想像力によって学びを積み重ねていける人なのだと思います。
人付き合いが苦手だとか、
会社勤めが嫌だから、という理由で
心理学の世界に飛び込もうとしている人は、
もう一度考えてみてください。
何かから目をそむけていませんか?
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送信者:臨床心理士指定大学院受験講座
http://www.clinicalpsychology.jp/
※Clip!アカデミーの記載内容は臨床心理士指定大学院受験講座に帰属します。
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2007年1月2日火曜日
【Clip! アカデミー】第66回:エッセイ号「心の未知の側面に触れること
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